日記_2019.8.24 ✍︎
煙草を切らしてしまったのでコンビニに向かっている。
雨だ。
まだ8月なのに、雨の夜は冷えるんだなあ。
雨の日は大抵何かに躓いている気がする。
チープな発想ではあるけど、人が流す涙を誤魔化してくれているのかもしれない、などと思う。
一つ前の記事に書いたあの変な確信は、少しずつ溶け始めた。
まだ気がつくと泣いていたり部屋から出られなかったりと不安定さはあるけれど、ほんの少しだけ浮上してきている気がする。
恋人の誕生日を祝う日までには持ち直したい、頼むぞ私。
昨日。
昨日は色んな人に散々当たり散らしてしまった。
高校時代からの親友とか、最近仲良くなった友達とか、祖母とか、恋人とか、訪問看護のスタッフさんとか......。
何をやっているんだ本当に、ああ。
嫌だなあ、嫌だ。
まず自分の嫌いな部分なんて直視したくないし、相手を罵倒したくもないし、ましてや最近仲良くなった友達に関しては泣かせてしまうし......本当に何がしたいんだよお前は、という感じでしかない。
余裕が無くなるとロクなことが無いのはわかっているのに、余裕を無くしているのは自業自得というか。
普段から少しずつ発散や昇華をしていれば、せめてもう少しマシだったのかもしれない。
とはいえ、やってしまったものは仕方が無いので、まずは八つ当たりしてしまった人達に謝って、今は自分の気持ちを受け止めたり、これからどうするべきかを考えたりしている。
仮面。
最近このワードについて思うところがある。
「ある意味ではたったふたりの家族だね」なんて言い合った弟と私。
あの家で過ごすうちに、私達は仮面を被り続けることが常となっていた。
ベクトルは違うけれど、「出来る限り穏便に」と他人の顔色を過剰に伺ったり何かしらの自己防衛を働かせたりしている所は共通だと思う。
誰だって世渡りのために仮面を被ることくらいはあるだろうが、こういうタイプの人間は親しかったり大切だったりする相手ほど何重にも仮面を被って接する傾向にある気がする。
ここから書くことはあくまで私の場合の話でしかないので、同じような日々を送っている人達全てに当てはまるわけではないが。
素直でない。
これは昔からよく言われることの中で最も苦しいことのひとつだ。
素直でないことは自覚しているし、このままでいいとは思っていない。
素直になる練習をすることもあるのだが、いざその時になると怖くなり、回りくどい言い方をしてしまう。
そうなると肝心なことがきちんと伝わらないし、状況によっては相手を傷つけることもある。
そもそも素直になったところで「普段のひねくれた受け取り方の上に成立する思考」でしかないため、相手からすれば「なんでそういう受け取り方になるの?」という感じなのだろうと思う。
楽しいことや嬉しいことに関しては、後のことが怖いので保険をかける意味で出来る限りマイナスの捉え方をする。
また、嫌な気分になった時に関しては、それを表に出すことで相手がどう出るかが怖いので押し殺してヘラヘラと笑ってやり過ごす。
そしてそれらは相手の前だけでなく、一人の時も制約として残る。
人が相手となると、素直になることが怖くて仕方が無いのだ。
しかしそんな関わり方をしていれば限界が来るのは当然なので、しばしば特定の相手に向かって爆発する。
相手からしてみれば「普段何も言わないくせに勝手に溜め込んで勝手に爆発されても!」という感じなのだろう。
この記事を書いていて、私はなんだかんだ言いつつも気を許している相手に対して「大抵のことは受け止めてくれる」と慢心していることに気づいた。
自分の思うようにならなくても「やはり人前で素直になるものではない。素直になったところで傷つくだけで良い事なんてひとつもない」という思考に走ればダメージを最小限に抑えることが出来る。
そんな甘えも私の身勝手さを加速させているのだろう。
昨夜、恋人と通話した際に喧嘩になってしまった。
素直になれないことや普段押し殺しているものを爆発させたことが主な原因だったと思う。
そもそも不調の時に大事な話をしようとすること自体が無謀なのだが、不調にでもならないと素直になる練習すら出来ないというのが現状である。
会話をしながら「素直にならなければ」と思考を巡らせるのだが、結局回りくどい言い方をしてしまって伝えたいことが上手く伝わらず、焦りや不安に駆られて更に状況を悪化させていった。
そうなるともはや何を伝えたかったのかすらわからなくなってくる上に「私が何も言わなければ穏便に済む」という思考に走ってしまう。
しかしそれではこれまでと変わらない、成長しない、誰とも繋がることが出来ない。
今までなら「はいはい私が悪いですよすみませんね。これからは一切口出ししませんから」と投げやりになっていたし、正直昨夜もわりと投げやりになってはいたが、当然ながらそんな態度は見抜かれた。
素直でないと言われることが苦しいのは事実だが、そう言ってくれる人は私のことをよく見てくれているのだとも思っている。
恋人にも「素直じゃない」「投げやりになるな」と言われていたので、これはある意味チャンスかもしれないと思った。
私の不調がもう少し良くなるまで話は保留となったが、それまでに素直になるための一歩を踏み出せるかどうかが重要だと思っている。
「何か問題を起こした際には、自分が先に謝ってしまえば相手の怒る気力を削ぐことが出来る」と知っているので、今までは積極的にこの手段を活用していた。
つまりは作業として謝っていた。
しかし「可能な限り相手のことを考え反省し、自分に素直になって謝る」という人間として初歩的なことが出来ていないのはわかりきっていたので、今日はまずその練習をした。
相手に送るメッセージを打っては取り消すのを繰り返した。
こんな初歩的なことがこれほどまでに難しいなんて。
胃に穴が開いているのではないかと疑うくらいに胃痛が酷く、心拍数は上がっていくばかり。
素直に人と接することが出来る人達はこんな思いをしているのか?凄すぎやしないか。
なんとかメッセージを送信したが、他により良い言い方があったのではなどと考えてしまって気が気でない。
結果は呆気なかった。
「え?これだけで良い方向に進むの?現実?」と画面を確認し直したくらいだ。
おそらく、私が怖がっていることのうち、大抵のことは思っているより呆気ない。
こんなに呆気ないことを20年以上も怖がっていたのか。
こういうことに気づいたときの私の顔は、きっとどうしようもなく間抜けだと思う。
それでも何かが、例えるなら雨雲のひとつが、すーっと消えていく感覚を覚えた。
きっと大丈夫、少しずつ、進んでいける。
その先には、私が渇望しているような純粋な人との繋がりだって、待っているのかもしれない。