精神_期間限定ショートスリーパー
最近、眠くなることがあまりない。
極度に疲れると「寝たい…」とは思うけれど、それは疲労からくる欲求であって、眠気とはまた違うものだ。
試行錯誤して眠れたとしても4時間程度で目が覚める。
二度寝をすることはなくなった。
それなのに、熟睡感がある日はほぼ無いと言っていいほどだ。
今日精神科を受診する予定だが、正直…とても怖い。
精神科に通院するようになって5年ほど経った。
先月、ようやく5年間お世話になった睡眠関係の薬を経つことができた。
それはもちろん、服薬しなくとも十分な睡眠がとれるようになったからだ。
素直に嬉しかった。
先月からいわゆる寛解期に入り始めた様子。
身体的にはまだ抑うつ症状が残っているけれど、精神的にはすこぶる元気だ。
このままいけば、寛解期だけでも最低限の服薬でそれなりの生活が送れるかもしれない。
そう思い始めた矢先、突然眠れなくなった。
私の持病のひとつに双極性障害というものがある。
躁状態にあるときは、睡眠時間が極端に減るにも関わらず、身体がそれ以上睡眠を欲しようとはしない。
また、人が変わったように元気になったり、攻撃的になったりする。
散財したり、性に奔放的になったり、まあその他にも色々な症状がある、そんな病気だ。
実は私は最近の不眠について、特に悩んではいない。
基本的に10時間の睡眠を必要とする私だが、最近は短時間の睡眠でも特に困ることなく生活を送っている。
ある日突然眠れなくなったので、流石に躁状態かもしれないとは思ったが、不眠以外は当てはまらない。
むしろ身体的にはうつ状態の症状に当てはまる項目がいくつかあるくらいだ。
仮に今が身体的にはうつ状態だとしても特に困ってはいないので、気にする材料がない。
だが、あまり眠れていないことを友人や訪問看護のスタッフさんに話すと、皆決まって「後でガタが来て落ちるから」と、眠剤等を服薬してでも眠った方がいいと言う。
5年間も精神科に通院していれば、処方薬の増減や変更などは当たり前だ。
それを気にしているようではどうしようもないというのは経験している。
それでも、5年。
5年という年月は短いようで長い。
同級生は大学生活を謳歌し、就活に明け暮れるようになった。
私はその間ずっと入退院を繰り返し、専門書を読み漁り、試すことが出来る治療法を片っ端から試し、取り組んできた。
自分の何が精神的弱さを助長させているのかがわからず、心理学・哲学・倫理学・自己啓発・宗教など、役に立ちそうなものを齧った。
ただただ苦しかった5年間だった。
私の5年間の取り組みが報われたのかはわからない。
単に病気の波なのかもしれない。
それでも人生で一番安定していると言っても過言ではない状態にある今、私は安堵していた。
きっとこのまま回復に向かって、いつか人並みの生活を今よりも楽に送ることが出来るようになる。
やっとここまで来た。
やっと、ここまで来たのだ。
わかっている。
完治という概念がないこの病気と付き合いながら生きていくためには、常に柔和な対応を求められることくらいは。
それでも、ずっと治療を進めるために努力を続けてきたから、ほんの少しだけ何も考えずに穏やかに暮らしていたかった。
そんな考えは甘すぎるのかもしれない。
......やっと少しの間だけ解放されると思っていたのに。
あーあ、といった感じだ。
この記事を書きながら、ほんの少しだけ泣いた。
今日の診察できちんと不眠について話すということは、自分の中で確定している。
まだ、頑張らなければいけない。
ただ穏やかに暮らしていきたいだけなのに、気を抜くことすら許されないのだろうか。
雑記_クレチマスの花言葉
やさしい明かりを灯した屋台。
風がそれらを撫で、懐かしい香りを運んでいく。
知らない誰かは浴衣姿で屋台に並び、他愛もない話をしている。
カップの中で静かに息をしているかき氷。
買われ、食われ、人間の欲を満たした途端、残骸だからと捨てられてしまうものたち。
夜が深まるにつれて高くなる人口密度。
皆、片手に花火のお供を連れている。
缶チューハイ、からあげ、ラムネ、りんご飴、.......。
咲いたと思えば次の瞬間には夜空に溶けてしまう花。
それらの色を少しだけ頬にのせた誰かの横顔。
夜空に浮かぶ花よりもその横顔を見ていたいと思うのは、もしかすると花たちの策略なのかもしれない。
様々な想いがまばらな拍手となり、生ぬるい空気に溶け込んでいく。
それを吸い込む私たち人間は、想いから逃れることは出来ない。
私たち人間は、決して。
どんな想いからも、逃れることは出来ない。
だとすれば、それを養分としてしまえばいいのだろうか。
想いを食べて生きていく。
悪くない響きだ。