地中海を越えて

生活記録.自己表現練習.執筆リハビリ

家族_家族というシステム

今日は久しぶりに、何も考えずにのんびり過ごした。

誰かと会う予定も、ひとりで外出する予定もない、なんにもない休日。

たまにはこんな日も大切だなあと、しみじみ。

 

 

最近は休日でも何か予定を入れなくては、という気持ちに駆られて、何かしら友達と会う予定を入れていた。

もちろん友達と過ごす時間も楽しいし、好きだし、大切だし、ひとりで過ごす時間とはまた違った良さがあると思う。

 

 

ただ、今日は。

どうしてもひとりで過ごしたかった。

 

 

一昨日。

盆正月はこの家に親戚が集まるのが恒例となっているので、それもあって叔父と話す機会があった。

 

私は叔父のことを身内で一番信頼していた。

幼少期から懐いていたし、身内で誰よりも自分の素を見せられるひとだと思っていた。

両親よりも、きょうだいよりも、祖父母よりも。

 

だから今年も叔父に会えたことが嬉しくて、夏祭りのお土産である焼き鳥と、自室に常備しているジャックダニエルとコーラを持って、晩酌に誘った。

 

叔父が作ってくれたジャック・コークを飲みながらいろんな話をした。

ああ、叔父だなあ…とほっとした。

叔父は人柄が本当に良くて、誰からも好かれるようなひとだ。

今でも、叔父みたいになれたらと思う。

 

叔父との晩酌の中で、「紺野はもう少し家族を大切にした方がいいよ」と言われた。

悲しくも悔しくもなかったし、怒るべきだったのかもしれないけど、何に怒ればいいのかわからなかった。

ただただショックで、晩酌を早々に切り上げ、部屋でひとりで号泣した。

 

 

 

少し暗い話になるけれど、私は物心がついたあたりから昨年まで、家族というシステムをよく思っていなかった。

どれほどかというと、成人したら戸籍を分籍して住民票に閲覧制限をかけて、どこか遠いところに逃げる。

法的拘束力はないけれど、状況としては絶縁関係というところまで持っていく。

それだけを目標にして、それだけを糧に生きてきたくらいだった。

 

私の父はいわゆるモラハラDV男で、長女である私が受けた仕打ちはとてもじゃないけど「躾」や「教育」と言えるものではなかった。

 

父の標的は主に母と私ではあったけれど、きょうだいも無傷というわけではなかった。

弟への仕打ちは、今思い出しても相当なものだったと思う。

事実、お互いが実家を出る前のことを弟と話したとき、弟は私と弟との関係を「あの戦場で生き抜いた仲間」だと言っていた。

 

それほど閉鎖的な家庭、もとい戦場で、私たちきょうだいは生き抜いてきた。

 

結局、家族というシステムがある限り、私たちはどれだけ理不尽でも、本当の意味ではそれから逃れることは出来ない。

 

だから私は全てをある程度許す努力を始めた。

正直、あれは断じて許される行為ではないと思うし、許すと決めてすぐに許せるようなものではない。

私は今も完全には許せていないし、そこまで優しくなるつもりはない。それでいいと思ってる。

 

私は父や血縁関係者の行動は完全には許す気がないけれど、そうならざるを得なかったことには同情するし、特に父に関しては、本当に可哀想なひとだ、と思うようになった。

 

受けてきた仕打ちは酷いものだったけれど、私を産んでくれたことや、私を育ててくれたことや、私が精神病を患って期待を裏切ってしまったにも関わらず、こうして見守ってくれていることには感謝してる。

 

何年も苦しみながら家族との折り合いをつけ、昨年あたりから、少しずつではあるけど恩返しや親孝行をしたいとも思うようになった。

 

今年のお正月は、今までごめんねという意を込めて、みんなでカラオケに行こうと誘った。

今まで「慰謝料くらい出せよ」という気持ちで当たり前に援助して貰っていた金銭面も、そんなふうには思わなくなった。

家族との「おはよう」や「おやすみ」を大事にするようになった。

 

あれだけ血縁関係者を憎んでいた私としては、ここまで家族に暖かい気持ちで接していられるということはとても大きな成長だと思う。

 

まだ祖父母と暮らしているこの家を「自分の帰る場所」だとは言えないけれど、それでもこの家は大切なものになった。

 

 

しかし、私がみんなを大切にしようとすればするほど、納得のいかないことが目につくようになった。

 

私が丸くなったからか、あんな地獄の日々なんてなかったかのような言動をしたり、さもごく普通の過去であるかのように水に流している血縁関係者。

 

勘違いをされては困る。

私は私のために許すという努力を始めたのであって、父や、父のモラハラやDVを知っていながら放置し続けてきた血縁関係者のためにそんなことをしているのではない。

ふざけるな、と言いたい。

確かに私はある程度は許すけれど、だからといって過去が消えるわけでも美化されるわけでもない。

 

それをわかっていて、私に「もっと家族を大事に」なんて言ったのか?

確かに今まで酷くあたっていたし、それは認めるけど、加害者側が何を言っているんだ?としか思えない。

 

今更理解してもらえるとは思ってないけど、それでも、だからこそ、叔父の口からそんな台詞が出てきたことがショックで仕方がなかった。

 

 

家族って、なんなんだろうね。

難しいし正直面倒なのに、なんで大事に思っちゃうんだろうね。

 

なんか少し、疲れてしまった。