地中海を越えて

生活記録.自己表現練習.執筆リハビリ

精神_毎年恒例のヤツが来た

昨日から携帯を開いた時に数行ずつこの記事を書き、ようやく投稿することが出来た。

全く進まない上に纏まらないし(いつも通り)、下書きを消してやろうかとも思ったけれど、気力が低下している時期は小さなことから達成感を得るべきだ。

誤字脱字が酷く出来る限り修正したのだが、何せ注意力が落ちている状態なので、見つけても許して欲しい。

 

 

盆正月は私の中で最も慎重に過ごすべき期間だ。

私は家族に会った後に軽躁状態に移行し、急に鬱転してしまう。

ここ数年例外なく、だ。

 

やあ、元気かい?

また会ったね。酷いなあ、少しは仲良くしてくれよ。

こんな調子で、ヤツはノックもせずに私の中にずかずかと入り込んでくる。

 

今年のお盆は大丈夫だろうと思っていたのだが、今思えば最近の睡眠状況も心理状態も言動も怪しいところだらけで、自分の考えの甘さに頭を抱えている。

この5年で病気の波が緩やかになってきたことだけが救いだ。

おかげで今回の波の底は、細心の注意を払っていればそこまで深いものにならなくて済みそうな気がする。

感覚と経験に基づいた予測でしかないので簡単に崩れることもあるが、仕事のことや先のことを考えると、ここでどう上手く付き合うかが鍵となってくるのは事実。

 

今までは、鬱転した際に一番しんどいと感じる最初の時期すら自分を奮い立たせて出勤し、結果的にある日パタリと倒れて入院するというのがパターン化していた。

正直過去の私はそうやって「今回も駄目だった」と安心したかったのだと思う。

しかし今回はそれを避けたかった。

今の仕事は自分の将来への投資と同じで、ここで投げ出したくはないからだ。

 

最初の段階で生活ペースを落とすべきだと判断し今日は欠勤することにしたが、それでもやはり罪悪感に押し潰されそうになる。

この微妙な時期は、本当に無理をすれば行けないことはないのでもどかしい。

特にこの仕事は利用者さんと直接関わる仕事なので、欠勤が多くなってしまった場合は利用者さんとの信頼関係に大きく影響してしまう。

とはいえ、出勤してもうつ状態特有の不安や焦燥感に駆られたり希死念慮に苛まれたりして集中出来なかったり、なんとかやり遂げて退勤したとしても自殺企図ばかりしてしまうのは目に見えている。

その結果いつも病院送りになり入院というパターンを引き起こしているので、それだけはどうしても避けたい。

前回のICU人工透析をしながら死の淵を彷徨った件から、私は死について恐怖を抱くようになった。

死にたくないし、まだ死ぬわけにはいかない。

 

そして私の場合は逆のことも危険視しなければならないのだが、詳細を書くともはや別の記事になってしまうので割愛する。

幸い、今の職場は私が精神疾患者であることを知った上で雇ってくれている。

比較的休みやすいとはいえ、休み続けると更に行きづらくなってしまう。

明日は行かなければ。

 

 

こういう時期は音にも敏感になるが、最近の場合は吹奏楽なら聴けるということがわかった。

好きなサウンドに触れつつ明日の支度をしよう。

入浴中は好きな香りに包まれてしまえ。

今日を生き延びたことを褒めてやろうじゃないか。