地中海を越えて

生活記録.自己表現練習.執筆リハビリ

映像_「千と千尋の神隠し」に関する雑談

金曜ロードショー

今日はスタジオジブリの「千と千尋の神隠し」が放送されるということで、何度も観ているし今回は観なくてもいいかな…と思っていた。

出来るだけ部屋から出たくなかったから......。

21時を回った頃にTwitterを開いたら、フォロワーさんが「神木隆之介の赤ちゃんボイス」とつぶやいていて、神木隆之介が声優として出演していることを思い出した(ありがとうございます)。

神木隆之介は私が初めて好きになった俳優で、今でも一番好きだ。

もちろん、即テレビをつけた。

 

 

千と千尋の神隠し」は小学生の頃から毎年のように観ている気がする。

昔はなんとなく観ていた部分も、年々解釈や感想が増えていく。

前回金曜ロードショーで放送されたときも視聴し、「もしかしたらキャラクターごとに人間の欲望を象徴しているのでは?」と思ったので、今回はそれを踏まえて観ていた。

今回一番印象に残ったキャラクターはカオナシ

 

カオナシの台詞といえば殆どが「ア」である。

それ以外で個人的に引っかかる台詞は「千が欲しい」「寂しい」「千は何が欲しい?」だった。

ここからしばらくは私の解釈が強く入るので、書いていると〜だと思うを多用してしまったのだが、うざったいのでそこは省略する形で修正した。

 

作中でカオナシが生み出す金は、金に見せかけた泥だ。

寂しさゆえに他人が食いつきそうな物を与えたとしても、結局与えている物はまやかしでしかないということだろう。

 

他人の都合が良いように振る舞い、縋り付き、自分の寂しさを埋めるやり方___自分を見せずに他人に縋ろうとするのは、自分の空っぽな部分を他人で満たそうとするから。

自分が与えた物を相手が拒むと怒り狂う___相手に与えている物はイコール自分、つまり自分が拒絶されたと考え「どうして!こんなにもあなたを思っているのに!自分はこんなにも良い子でいるのに!」といった感じで、態度を一変し相手を糾弾する。

 

カオナシを見ていると私自身を見せつけられているようで、とても頭が痛い。

私もカオナシと同じで、「他人に自分の中身を見せない」「あるのは身体、寂しいという強い感情や相手を手に入れようとする欲望」「顔、つまり相手を思う気持ちや本来の自己主張に欠けている」のだ。

 

せめてこういうやり方で縋ろうとするのではなく、自分の空っぽな部分を認めて自分で埋めていく上で、相手と何かを築こうとするのであれば、少しは違ってくるのかもしれない。