日記_2019.8.16 ✍︎
ここ2日ほど、何かが崩れてしまいそうな感覚から必死に逃げ続けている。
私はこういうとき、他人との関わり等を拒絶してしまう。
何年も齧り付いているTwitterすらほとんど開かないし、普段なら楽しい友達とのLINEやInstagramでのやりとりも、どうしても出来ない。
というより、そういう選択肢が無い状態に陥る。
部屋に引きこもり、ほとんど眠ることもなく、食事等の必要なルーティンを怠り......。
漫画本を読んだり、調べ物をしたり、音楽やラジオを聴いたり。
とはいっても、心が不安定な状態で不規則な生活を送っていれば、いくら自分の時間を作っても没頭など出来ない。少なくとも私は。
自分の状態を直視したくなかったのでブログを更新するという選択肢ももちろん無かったが、連休がもう少しで終わってしまうことに気づいた。
そろそろ調整を始めないと月曜日に間に合わない。
この記事では、とりあえず思考等の整理をする。
今からでも間に合うのか不安ではあるし、正直そんな作業は面倒臭い。
常に涙を堪えている。
誰に見られる訳でも無いのだから泣いてしまえばいいのに。
プライベートも仕事も全部投げ出したい。
何も考えたくないし、何かから必死に逃げるのも向き合うのも疲れた。
それでも明日はやってくるし、1秒前は死んでいく。
(ちなみに「1秒前は死んだ」というフレーズは星野源の楽曲からきている。お気に入りの曲なので、これについてはまた後日、個別に記事を書くこととする)
今気付いたが、もしかすると久しぶりに病んでいるのかもしれない。
そういうときに残した記録や事実は後々抹消したくなるのが目に見えているので、一瞬色々と迷った。
ただ、ここに吐き出すのをやめるとして、他の何処に吐き出せば良いのだろうかとも思った。
こういうことは、何も返ってこない場所にぽーんと投げる方が気楽なのだ。
だから許せ、と書こうとしたが、そもそもここは私の生活記録の場所でもあるので、他所から許可を得る必要も無い。続けよう。
私の周りには、自分のことを他人に打ち明けないタイプの人が多い。
この間その中のひとりに対して、その性質について言及してしまった。
そもそも、他人が何かを述べた際に反射的に返してしまう言葉は、大抵自分に対して思っていることや言い聞かせていることだ。
ブーメラン以外の何物でもない。
「周りは別にあなたに完璧であることを求めていない。プライベート、ましてや思考まで仕事人間で居なくても良いんじゃないの。それって凄く疲れると思うけど」
「相談に乗るのが上手な人って、相談するのはあまり上手じゃないような気がする。それでもいいとは思うけど、相手からすればどうしても越えられない壁や埋まらない距離があるように思えて、寂しいんじゃないかな」
「何かに行き詰まってるときって、自分でどうにもならないからそうなってる場合もあると思うんだよね。そういうときは人に相談する努力も必要だと思う」
「とはいっても、人に相談するって選択肢がまず浮かばないタイプの人って、そうなるべくしてなってると思うんだよね。家庭環境とか友人関係とか」
「今まで生きてきた中でそういうことに縛られてきた分、そこから自由になるためには長い時間がかかると思う。だから焦ることはないんじゃないかな」
という感じで、何も考えずに散々なことを言ってしまった。
凄く後悔しているが、発言は取り消せない。
他人との関わりについて。
基本的に他人の領域に深く踏み込むことはしない。
私は余程気を許している人でない限り干渉されることを許せないからだ。
相手が私に気を許しているなんて保証はどこにも無いし、的外れなことを言って幻滅されたくない。
それに、他人の領域に踏み込むなんて、怖すぎる。凄く怖い。
相手が大切であればあるほど、私は何も言えなくなる。
大切な人の人生に私が居ること自体が許せないのに、自ら強く爪痕を残すなんてもってのほかだ。
このことや、他人から嫌われるのが怖いことなどが絡まって、最近は出来る限り相手にとって都合が良い人間であろうとしてしまう。
昔は正反対だったのに凄い変わりようである。
都合良くあろうすることを選択しているのは自分なのに、いざそこに近くなってきているかもしれないという気がしてくると、凄く落ち込む。
所詮相手との間にあるのは、信頼関係でも何でも無い、ただの利害関係だからだ。
なるほど、少しだけ納得した。
大切な人に対して、私は出来る限り繋がっていたいと思っている。
ただ、自分がそこまでの人間だとは思えないし、自分を見せたり、自分を強く残したりするのは気が引ける。
自分がどう思われるかが大事だからだ。
結局、自分が一番可愛くて、そこに相手への配慮なんて無い。
そうしているのは自分。
そこから抜け出すのも自分。
最初の一歩が大事だと誰もが言うけれど、最初にどういうアクションを起こせばいいのかが全くわからない。
このままで居たくないのなら、変わる必要がある。
......なんだか、さらに気が重くなってしまった。
日記_2019.8.14 ✍︎
今日は五度寝くらいして昼過ぎに起きた。
眠れるってしあわせだね。
さすがに寝すぎだけど、休日なので良しとする。
お昼に素麺を食べた。
今まで市販のチューブ入りのわさびしか知らなかったけど、父が買ってきてくれたわさびをすりおろしてみたらすごく甘くてびっくりした。
あと、やっぱり祖母が作るコロッケは美味しい。
祖母の手料理の中で唐揚げの次に好き。
ふたりでキッチンに立っても祖母は全て目分量で調理するし、気になってレシピを聞いても大雑把な答えしか返ってこないから困る。
一人暮らしのタイムリミットまでには、唐揚げとコロッケ、欲を言えば茶碗蒸しとかも、祖母の味を覚えたい。
食後は少しごろごろして過ごした。
近所にあるカフェがリニューアルオープンしたみたいなので、妹たちと3人で行ってみることになった。
リニューアルオープンする前は何度かそこに行ったことがあって、私はよくチョコバナナパフェを食べてた。
そういう感じを期待してたんだけど、メニュー表を見てみると、ナチュラルでちょっぴり高級志向といった感じに路線を変更したらしかった。
各々ケーキセットやフルーツパフェを注文。
結論から言うと私たち3人の舌は高級志向ではなかった。
次は安定の星乃珈琲店にしようと決めた。
それから少し寄り道をして帰宅。
台風が近づいてる影響で小雨が降り始めた。
雨の中の散歩は大好きだ。…荷物が濡れなければ。
雨の日は雨に関する曲が浮かんでくるので、なんとなく楽しくなってきてしまう。
今日も気づいたら歌いながら歩いてた。
The Birthday「LEMON」、
Acid Black Cherry「イエス」......
帰宅後、起床から3時間しか経ってなかったのにこてんとお昼寝してしまった。
起きたら夕方の5時だった。
お盆シーズンだからと遊びに来てた家族は帰ってしまった。
お見送りし損ねたのは痛い。
夜中から台風の影響が強まって明日の昼過ぎにピークを迎えるとの情報を得たので、夕方のうちに出かけておくことにした。
田舎も好きだけど、街も好きだ。
特に夜の街はいろんな色の外灯で埋め尽くされてるから、見てて飽きない。
外で飲むのは多くても週に一度というルール。
先週飲んだブランデーが美味しすぎて、今週も絶対に同じものを飲むと決めてた。
最近晩酌にジャックダニエルを飲んでも、人生初ブランデーのおかげか満足できなくなってたから、何かしらの沼に片足を突っ込んでる気はする。
やっぱりブランデーは美味しすぎた。
いろんな割り方とかカクテルとかを試したい気持ちはあったけど、美味しくて酔いやすいものを沢山飲みたい気分だったので、ミルクティー割りにした。
いい感じに出来上がったので、タクシーを捕まえて帰宅。
いつも外で飲んでると現実に戻りたくなくなってしまって、終電を無視してしまうからよくない。
今日はどのみち台風で運転見合わせみたいだったから仕方ないけど、一応終電とあまり変わらない時間で引き上げた。
自分の逃げ腰なところが幼稚ですごく嫌いだから、少しずつ矯正出来ててうれしい。
深夜のラジオ番組、私の大好きなもののひとつ。
世界中にひとりだけ取り残されてもなお言葉を紡ぐことだけは続けている詩人を眺めてる気分になる。
ラジオについては、別の機会に個別の記事を書こうと思う。
今日の日記はここまで。
なんだかんだでもうすぐ午前3時…。
とことん寝て、好きな時間に起きようかな。
音楽_tractrix/Soh yoshioka
夜中に日記を書いてから、しばらくしたら意外と眠気が来たので、こてんと眠っていた。
6時のアラームで起きたが、疲労と眠気が尋常じゃなかったので、とりあえず休日出勤は諦めて、またタオルケットにくるまった。
それから眠って、起きて、なにもしたくないなあとタオルケットに顔を埋めて…を繰り返してたら時刻は正午を回っていた。
疲れてたのか?まあ回復したので良しとする。
さて、今日も一日を始めていく。
ベランダで一服しつつiTunesを開いて、気分に合った曲を探した。
今日最初の1曲に選んだのは、Soh Yoshiokaの「tractrix」。
実は私がVOCALOIDの中で今も聴き続けているのはハウス系ミュージックくらいである。
その中で個人的に5本の指に入るほどに好きなボカロPの一人が、Soh Yoshiokaだ。
Soh Yoshiokaについて。
「Space tour」でデビューしたP。使用ボカロはLily、初音ミクAppendのDark、IA。主にハウス系の音楽を作る。3作目の「discrete pulse」がぼからんのピックアップコーナーにて紹介された。以後、彼の作品は再生数1万を超え、ぼからんに載るようになった。そして5作目の「tractrix」がヒットし、初の殿堂入りを果たした。
Soh Yoshiokaの作品の中で一番好きなのは、最も有名でもあるtractrix。
「ああ 閉じかけた この眼に 焼き付けるのは 彩の無い 崩れゆく影」というフレーズ。
独特のサウンドで構成された長めのイントロ。
何度聴いても飽きが来ないのは、その魅力ゆえだろう。
ここまで書いてみたが、やはり私は作品について感想を述べるという行為が苦手だ。
学生時代の読書感想文なんて苦痛以外の何物でもなかった。
よくある、あらすじを纏めただけの作品紹介文になってしまうのだ。
文章を書くのは好きだし、何かに触れたときに生じるこの感覚を積極的に発信したいと思っているが、なかなか思うように書けない。
素敵だと思う作品の魅力はこんなものじゃないのに、語彙力が追いつかない。
何か良さげな克服方法をいい加減に探そうと思う。
そもそもこのブログを開設したきっかけは、文章における苦手分野の克服なのだ(もちろん、生活の記録も目的のひとつではあるが)。
そういえば数週間ほど前に、Twitterのタイムラインを眺めていると、こんな内容のツイートが回ってきた。
「言葉なんて感情の下位互換なんだから気持ちは言語化できなくて当たり前」
最初は物凄く腑に落ちたし自分の欠点を許された気にもなったが、少し考えた末、それは確かにそうだが、感情を言語化しようとする姿勢は忘れてはいけないという結論に至った。
これからも少しずつ、練習を重ねていきたいと思う。
家族_よくブラコンだと言われる
弟。
弟とはあまり歳が変わらないので、それこそ昔は毎日ティッシュ箱を投げ合ったり取っ組み合いの喧嘩をして怒られてばかりだったが、今ではとても仲が良い…たぶん。
私は短大中退後、少しでもいい環境で治療をと、実家を出て祖父母宅に居候をさせてもらっている。
また、弟は大学進学をきっかけにひとり暮らしを始めた。
弟と会えるのは年に1回ほどで、2回会えればラッキーといった感じだ。
体調を崩しているからお盆シーズンは帰省できないと聞いたので、昨夜、久しぶりにLINEを送った。
体調はもう回復したらしく、今は彼女と一緒にいるとのことだった。
弟は愛着障害の傾向にあると思う。
実家に居た頃から、ふたりで過ごす時間があれば必ずと言っていいほど恋愛話をしていた。
その印象からしてというだけであって、私は専門家ではないので憶測でしかないが。
恋愛において常に忙しなかった弟を心配していたけれど、ようやく少し落ち着いたのか、ここ2年ほどは可憐な女の子との交際を続けているようだ。
私は彼女にとても感謝している。
というのも、弟はきょうだいの中で一番不器用な生き方を選んでしまう性分だからだ。
誰よりも抱え込み、誰よりも耐え忍び、誰よりも辛抱して生きている。
その上、自分の弱みを他人に見せることはしない。
私がどれだけ弟の心の奥底にあるドアをノックしても、反応が返ってきたことなんてなかった。
あの弟が彼女と2年も交際を続けているのは、予想でしかないけれど、彼女になら自分の脆い部分をある程度さらけ出せるからではないかと考えている。
私はその考えに至った時、どうしようもなく安堵した。
時折、ふたりが出来るだけ長く一緒に居られるよう、願わずには居られなくなることがある。
弟には、誰よりもしあわせになってほしい。
とはいえ、こんなことを直接言うのは気恥ずかしい。
昨夜の私に出来たのは、スターバックス・コーヒーのお買い物ギフトを送り「彼女ちゃん、こいつスタバデートにでも連れて行ってあげて!新作出てたやろ?」とお節介を焼くことくらいだった。
彼女はちょうど、スターバックス・コーヒーの新作を飲みたがっていたらしい。
女子大生はタピオカミルクティーとスターバックス・コーヒーの呪文メニューに目が無いという私の憶測は、あながち間違いではなかったのかもしれない。
日記_2019.08.13 ✍︎
最近体調不良が続いてた関係で仕事が溜まってるから、昨日は休日出勤をした。
昨日のうちに全て片付ける予定だったけど、終わらなかったから今日もまた会社に向かうことになりそう。
疲れた、本当に。
体力を搾り取られるのはいつものことだけど、昨日はなんだか精神的疲労が酷すぎた。
疲れすぎると、恋人に会いたくなる。
声をきくだけでもいい。
それだけで全てが解決する…ような気がする。
昨日の恋人はレスポンスが遅めだったので、たぶん自分の時間を大事にしたい日だったんだろうな。
私もそういう日はレスポンス遅めだしね。
お互いさまだから、仕方がないと諦めるしかない。
理性で色々と言い聞かせることは出来ても、やっぱりこういうときは、いつもよりずっとずっと寂しさを感じやすいから、大変。
ぐっと寂しさを我慢することも、必要なことだよね…と自分を慰めながら、気を紛らわせてる。
こういう日も、必要。
私は常に寂しさを敵視してる。
寂しさに負けて筋の通ってないことを平然とやってのける自分がいることを自覚してるから。
寂しさは不意にやってきて、私の心を不安でいっぱいにする。
それをどうにか拭いたくて、誰彼構わず縋ろうとする。
そんなの、許されるはずがない。
昔は、筋が通ってないとか許されるはずがないとか、そんなことは1ミリたりとも考えてなかったし、自分さえ苦しくなければ周りがどれだけ苦しもうが傷つこうがどうでもよかった。
だけどそういうふうに生きてると、絶対に大切にしなければいけなかったひとでさえ、失うことになる。
それだけのことに気づくまでに、20年以上もかかってしまった。
私に残された唯一の償いは、同じことを繰り返さないことだと思ってる。
✄--------------- キ リ ト リ ---------------✄
一日のどこかで自分が肩の力を抜いてぼーっとできる時間を作ることはとても大切だと思う。
私の場合は、退勤後や休日にカフェに行くようにしてる。
珈琲と一緒に一服して、ぐだーっとしてるときが、一日の中で一番落ち着く。
目の前をくゆりと上っていく煙や、耳に届く心地よいジャズ、舌を包み込む柔らかい液体の感触や、鼻腔を抜けていく珈琲の風味。
それらをゆっくりと、じんわりと味わう。
何も考えずに、肩の力を抜いて。
そうすれば自然と、自分や地球上の誰かが生きていることを再認識できる。
日々何かに追われていく中で、私たちはそういうことを見落としがちだ。
皆が今をどこかに置き去りにして、足早に歩いている。
そんなに生き急いで何になるんだい?と自分に語りかける時間を作れば、ほんの少しだけ生きやすくなると、私は思う。
要するに、生きにくいと嘆く前に、自分の生き方を見直す必要があるということ。
✄--------------- キ リ ト リ ---------------✄
入浴。
これも一日の中でとても大事なルーティーンだと思う。
最近の私は朝方にシャワーを浴びることが多いので、見直しが必要。
夜のうちに入浴すると翌朝の疲労感が軽減される上に、睡眠環境を整えることができる。
一日の終わりのリラックスタイムとしても丁度いい。
今日は仕事終わりに入浴剤でも買いに行こうかな。
好きな香りに包まれるって、すごく心地いいよね。
✄--------------- キ リ ト リ ---------------✄
数日前から、1日に消費する煙草の本数が異常に増えた。
ちなみにその前は1日20本前後。
この時点でわりとヘビースモーカーだと周りからは言われる…。
私は普段、場面によって紙巻きと電子タバコを使い分けてる。
退勤後〜入浴前はアメリカンスピリットのアガット、入浴後〜退勤前はglow、というふうに。
本数を正確に数えてるわけじゃないけど…、たぶん最近は1日に30本は余裕で吸ってると思う。
なんだか、四六時中吸わないと落ち着かなくて。
不健康極まりないし、何か代わりになるものを見つけないとなあ…何がいいんだろう。
年々、喫煙者にとって肩身の狭い世の中になってきてる。
個人的には病院等が禁煙となったのはありがたいけど…(入院が必要なくらい病状が悪化しても、煙草が吸えないなんて!と、意地で這い上がるようになったから)。
そのうち、飲食店でも吸えなくなるとか、ならないとか。
私は別に歩き煙草は趣味じゃないし、非喫煙者の前では煙草は吸わないようにしてる。
煙草が害を及ぼすことくらいはわかってるから、それくらいの配慮をするのは当たり前だと思う。
とはいえ、煙草は私にとって短い時間で手軽に行える息抜きでもあるので、それすらも世の中に禁じられていくのかもしれないと思うと、なかなかきついものがある。
たとえば飲食店なんかの場合は、しっかり分煙する、だけじゃダメなのかな…。
喫茶店やBARで煙草が吸えない未来がきたら、さすがにこの私でも禁煙を考えるかもしれない。
今のところは、禁煙する気なんて1ミリもないけどね。
✄--------------- キ リ ト リ ---------------✄
この時間に目が覚めると、何もすることがない。
実際やろうと思えば色々と出来るけど、ひとり暮らしではないし、あまりガサガサ音を立てて祖父母を起こすのは気が引ける。
だからこういうときは基本的に、ネットサーフィン/読書/音楽鑑賞の中から気分で選んで、静かに夜を越していく。
この間、滅多に手に取ることがない短編集を買ったので、今日は読書をしようかな。
✄--------------- キ リ ト リ ---------------✄
日記、書き始めると止まらないなあ…。
その日の出来事なんてその気になればいくらでもピックアップできるし、私は何かしら文章を書くことはとても好きだから尚更ね。
残しておきたい出来事だけをピックアップしてるけど、本当はあれもこれも…ってしたい。
さすがに収集がつかなくなるから、しないけど。
現在、AM4:00。
日が昇ったら紅茶を淹れようかな。
何にしよう、ダージリンなら残ってた気がする。
近いうちに紅茶屋さんに行こう。
レモングラス切らしちゃってるの忘れてた。
二度寝は出来そうにないし、穏やかに朝を出迎えよう。
家族_家族というシステム
今日は久しぶりに、何も考えずにのんびり過ごした。
誰かと会う予定も、ひとりで外出する予定もない、なんにもない休日。
たまにはこんな日も大切だなあと、しみじみ。
最近は休日でも何か予定を入れなくては、という気持ちに駆られて、何かしら友達と会う予定を入れていた。
もちろん友達と過ごす時間も楽しいし、好きだし、大切だし、ひとりで過ごす時間とはまた違った良さがあると思う。
ただ、今日は。
どうしてもひとりで過ごしたかった。
一昨日。
盆正月はこの家に親戚が集まるのが恒例となっているので、それもあって叔父と話す機会があった。
私は叔父のことを身内で一番信頼していた。
幼少期から懐いていたし、身内で誰よりも自分の素を見せられるひとだと思っていた。
両親よりも、きょうだいよりも、祖父母よりも。
だから今年も叔父に会えたことが嬉しくて、夏祭りのお土産である焼き鳥と、自室に常備しているジャックダニエルとコーラを持って、晩酌に誘った。
叔父が作ってくれたジャック・コークを飲みながらいろんな話をした。
ああ、叔父だなあ…とほっとした。
叔父は人柄が本当に良くて、誰からも好かれるようなひとだ。
今でも、叔父みたいになれたらと思う。
叔父との晩酌の中で、「紺野はもう少し家族を大切にした方がいいよ」と言われた。
悲しくも悔しくもなかったし、怒るべきだったのかもしれないけど、何に怒ればいいのかわからなかった。
ただただショックで、晩酌を早々に切り上げ、部屋でひとりで号泣した。
少し暗い話になるけれど、私は物心がついたあたりから昨年まで、家族というシステムをよく思っていなかった。
どれほどかというと、成人したら戸籍を分籍して住民票に閲覧制限をかけて、どこか遠いところに逃げる。
法的拘束力はないけれど、状況としては絶縁関係というところまで持っていく。
それだけを目標にして、それだけを糧に生きてきたくらいだった。
私の父はいわゆるモラハラDV男で、長女である私が受けた仕打ちはとてもじゃないけど「躾」や「教育」と言えるものではなかった。
父の標的は主に母と私ではあったけれど、きょうだいも無傷というわけではなかった。
弟への仕打ちは、今思い出しても相当なものだったと思う。
事実、お互いが実家を出る前のことを弟と話したとき、弟は私と弟との関係を「あの戦場で生き抜いた仲間」だと言っていた。
それほど閉鎖的な家庭、もとい戦場で、私たちきょうだいは生き抜いてきた。
結局、家族というシステムがある限り、私たちはどれだけ理不尽でも、本当の意味ではそれから逃れることは出来ない。
だから私は全てをある程度許す努力を始めた。
正直、あれは断じて許される行為ではないと思うし、許すと決めてすぐに許せるようなものではない。
私は今も完全には許せていないし、そこまで優しくなるつもりはない。それでいいと思ってる。
私は父や血縁関係者の行動は完全には許す気がないけれど、そうならざるを得なかったことには同情するし、特に父に関しては、本当に可哀想なひとだ、と思うようになった。
受けてきた仕打ちは酷いものだったけれど、私を産んでくれたことや、私を育ててくれたことや、私が精神病を患って期待を裏切ってしまったにも関わらず、こうして見守ってくれていることには感謝してる。
何年も苦しみながら家族との折り合いをつけ、昨年あたりから、少しずつではあるけど恩返しや親孝行をしたいとも思うようになった。
今年のお正月は、今までごめんねという意を込めて、みんなでカラオケに行こうと誘った。
今まで「慰謝料くらい出せよ」という気持ちで当たり前に援助して貰っていた金銭面も、そんなふうには思わなくなった。
家族との「おはよう」や「おやすみ」を大事にするようになった。
あれだけ血縁関係者を憎んでいた私としては、ここまで家族に暖かい気持ちで接していられるということはとても大きな成長だと思う。
まだ祖父母と暮らしているこの家を「自分の帰る場所」だとは言えないけれど、それでもこの家は大切なものになった。
しかし、私がみんなを大切にしようとすればするほど、納得のいかないことが目につくようになった。
私が丸くなったからか、あんな地獄の日々なんてなかったかのような言動をしたり、さもごく普通の過去であるかのように水に流している血縁関係者。
勘違いをされては困る。
私は私のために許すという努力を始めたのであって、父や、父のモラハラやDVを知っていながら放置し続けてきた血縁関係者のためにそんなことをしているのではない。
ふざけるな、と言いたい。
確かに私はある程度は許すけれど、だからといって過去が消えるわけでも美化されるわけでもない。
それをわかっていて、私に「もっと家族を大事に」なんて言ったのか?
確かに今まで酷くあたっていたし、それは認めるけど、加害者側が何を言っているんだ?としか思えない。
今更理解してもらえるとは思ってないけど、それでも、だからこそ、叔父の口からそんな台詞が出てきたことがショックで仕方がなかった。
家族って、なんなんだろうね。
難しいし正直面倒なのに、なんで大事に思っちゃうんだろうね。
なんか少し、疲れてしまった。
音楽_Sing Sing Sing/東京佼成ウインドオーケストラ
ようやく起床。
休日だから調子に乗った。
たまにはね、夜更かしするのも楽しいね。
私は起床したらまずベランダで一服しつつ、iTunesを開いて、今日一日をどの音楽から始めるかを決める。
これが日課。
今日は東京佼成ウインドオーケストラの『決定盤!!ブラバン スタンダード・ポップス』を選択した。
このアルバムの中で特に思い入れがあるのは『Sing Sing Sing』。
吹奏楽を続けていれば一度は必ず演奏するであろう名曲。
個人的にはWinds Scoreの楽譜が一番好きだ。
>>>言わずと知れた、ジャズのスタンダードナンバー。2004年公開の映画「スウィングガールズ」で取り上げられたことでも有名です。原曲のスウィングのリズムとはガラッと変わった、ドミニカのメレンゲというリズムを使った熱帯JAZZ楽団アレンジ。そのスピード感をそのままに吹奏楽で再現!中盤のB.Sax.とTrb.のSoloバトルは、カッコよさを競い合って盛り上がること間違いなし。続いてTrp.、A.Sax.にもSoloが登場します。
───Winds Score公式サイトより引用
演奏者も観客もこれほど自然とスウィングしてしまう吹奏楽曲は他にないのではないだろうか。
演奏会でこの曲を演奏すると決まったときは、心の底から喜んだ記憶がある。
特にトランペットのソロ。
あれは最高に楽しいし心地よい。
本当に大好きな吹奏楽曲なのだが、実はこの曲には苦い思い出がほとんどで、聴いているとあまり曲自体に集中出来ないなんてこともしばしば。
というのも、私はこの曲のトランペットソロで、数回経験した本番全てにおいて失敗しているからだ。
本番にソロで失敗するなんて、ただただ周囲に迷惑をかけるだけである。
トランペットを吹き始めたのは中学1年生の頃、吹奏楽部への入部がきっかけだった。
軽音楽部がないなんて…と思いつつ、とりあえず向かった音楽室。
ドアを開けた瞬間、部長の華やかなトランペットの音が爆速で駆け抜けて行った。
あのシーンがジブリアニメだったなら、間違いなくその場にいた全員の髪が爆風に吹かれていたことだろう。
あの時のなんとも言えぬ感覚は一生忘れることはないと断言出来る。
私はわりと早咲きタイプだったのもあり、校内のソロコンテストでは有難いことに1年生部門で一位を獲得。
その年のコンクールでは『オーディナリー・マーチ』の3rdトランペットソロまで担当させてもらった。
楽器を始めて1年目、それは私にとって常に前進できる、楽しくて仕方がない期間だった。
ソロを任せられた日には小躍りし、本番を待ち望んだ。
「さあ!俺の音を聴け!!」というふうに常に自信に満ち溢れていたし、それからの中学3年間はソロで失敗したことなんてなかった。
つまりは盲目だった。
私は所詮井の中の蛙で、世界は広すぎたのだ。
高校入学後も吹奏楽部に入部した。
本当は演劇部と文芸部との掛け持ちをしたかったけれど、そこまで器用な人間ではないのでそれは諦めた。
私にとってのふたつめの居場所。
私たちの学年はどちらかというと実力派で、そのほとんどが吹奏楽の甲子園ともいわれる「全日本吹奏楽コンクール」で九州大会出場を果たしているメンバーで構成されていた。
私の中学はいわゆる弱小校だったので、私はまず同級生との実力の差に驚愕した。
足を引っ張るわけにはいかないと、周囲と自分を比較して焦るようになったのはこの頃だったと思う。
有難いことに、高校入学後もソロを任せられることはあった。
個人練習のときは何も問題はなかった。
相変わらず「俺の音を聴け!!」という気持ちで吹いていたし、練習を重ねればそれほど悪くないソロを吹けるようになっていたように思う。
しかし、合奏になった途端にダメだった。
いくら練習しても埋まらない周囲との差。
せめて足だけは引っ張らないように…。
そんな気持ちで合奏に参加していれば、当然萎縮してしまうし、いい演奏など出来ない。
本番となると尚更だった。
頭が真っ白になり、暗譜していたはずの楽譜が飛んだり、周りの音が全く聞こえなかったりした。
心拍数は高まるばかりで、私の中のメトロノームは狂っていく。
どうして…昔はそんな事無かったのに!という気持ちが、更に緊張に拍車をかけていく。
結果として、私は未だにこれを克服できていない。
短大中退後は市民吹奏楽団に入団したが、私程度の実力の人間が団体の中にいることが許せなかった。
団員さんが話しかけてくれても、自分の実力の無さが恥ずかしくて上辺だけの会話で終わってしまう。
何より人前で吹くこと自体が恐怖と化してしまい、人前で楽器を構えると身体が固まり、手は震え、思うようにいかないことによってどんどんドツボにはまっていった。
結局、幽霊部員となった後、退団した。
それから、あまりトランペットを吹くことが出来ていない。
本来なら自分の実力不足はこの上ない糧になるし、私はそれを悔しがり楽しみながら上達していく性分なのだが。
トランペットは今でも大好きだし吹きたいのに、いざ楽器ケースを開けると、もはや人前でなくとも身体が固まってしまうのだ。
楽器は自分の状態をストレートに教えてくれる。
それを知ることが怖くて堪らなくて、次第と楽器ケース開けることも減っていった。
それでもまた楽器と触れ合えるようになりたくて、最近はどうにかこうにか、トランペットと向き合う時間を作るようになった。
実はまた社会人団体にお世話になろうとも考えていて、以前入団していたところとは別の団体に団員募集の詳細を問い合わせている。
また、いつか。
あのスポットライトの下で、思い切り吹きたい。